
今からおよそ1100年前の東アジア世界は、唐王朝の滅亡をうけて各地に新たな国が登場する「変動の世紀」といわれます。そうしたなかで、いちはやく国づくりに着手したのが遊牧の民・契丹の諸部族を統括した実力者耶(や)律(りつ)阿保機(あぼき)です。
10世紀初頭に国家の体制をととのえた契丹(遼)国は、巧みな騎馬戦術や北宋、高麗、西夏、ウイグルなど周辺諸国との活発な交流によって富み栄え、現在の北京や内モンゴル自治区・モンゴル・ロシア・カザフスタン付近にいたる広大な領土を保有するにいたります。1125年に女真(じょしん)族の金に国を滅ぼされたのちも、ロシア語の「Китай(キタイ)」、英語の「Cathay(キャセイ)」のように、中国大陸を指す言葉として「契丹」の名はいまに伝わり、彼らがのこした文化遺産はいまも輝きつづけています。






2羽のオウムが舞う鏡と、その鏡の寸法にあわせて特注した豪華な鏡箱。箱の表面に嵌め込んでいた玉や貴石のいくつかはすでに失われているが、これはプリンセスが長く愛用したことを示唆する。蓋の裏には夫婦が音楽鑑賞を楽しむ場面を巧みな彫金技法で表す。プリンセスの若かりし頃の姿をうつしたものと思われる。




















