展覧会構成・みどころ

展覧会構のみどころ

契丹国の勢力図

今からおよそ1100年前の東アジア世界は、唐王朝の滅亡をうけて各地に新たな国が登場する「変動の世紀」といわれます。そうしたなかで、いちはやく国づくりに着手したのが遊牧の民・契丹の諸部族を統括した実力者耶(や)律(りつ)阿保機(あぼき)です。
10世紀初頭に国家の体制をととのえた契丹(遼)国は、巧みな騎馬戦術や北宋、高麗、西夏、ウイグルなど周辺諸国との活発な交流によって富み栄え、現在の北京や内モンゴル自治区・モンゴル・ロシア・カザフスタン付近にいたる広大な領土を保有するにいたります。1125年に女真(じょしん)族の金に国を滅ぼされたのちも、ロシア語の「Китай(キタイ)」、英語の「Cathay(キャセイ)」のように、中国大陸を指す言葉として「契丹」の名はいまに伝わり、彼らがのこした文化遺産はいまも輝きつづけています。

目玉1

契丹プリンセス遺愛の鏡箱

 2003年に発見されたトルキ山古墓は、非常に簡素な作りの墓でありながら、中は豪華な副葬品であふれていた。副葬品の多くは唐の遺風を感じさせ、その質の高さは被葬者が第一級の皇族クラスであることを示す。葬られていたのは、契丹国建国の祖、耶律阿保機(やりつあぼき)と比較的近い人物とする見解が有力。







鏡箱(かがみばこ)、鏡(かがみ)

トルキ山古墓出土
10世紀前半
内蒙古文物考古研究所

 2羽のオウムが舞う鏡と、その鏡の寸法にあわせて特注した豪華な鏡箱。箱の表面に嵌め込んでいた玉や貴石のいくつかはすでに失われているが、これはプリンセスが長く愛用したことを示唆する。蓋の裏には夫婦が音楽鑑賞を楽しむ場面を巧みな彫金技法で表す。プリンセスの若かりし頃の姿をうつしたものと思われる。

目玉2

プリンセスが眠る豪華な彩色木棺

 金箔の鳳凰や牡丹唐草をあしらう豪華な木棺。蓋に傾斜をつけた片流れ式といわれるこのような形状の棺は、北魏や唐といった北方民族がたてた国で愛用されていたもので、契丹がこれらの国々と文化的につながっていることを示している。棺の正面には扉があり、契丹人の門衛が警護している。


棺の扉を警護する契丹人

棺の扉を警護する契丹人

棺を彩る金箔の鳳凰

棺を彩る金箔の鳳凰

彩色木棺(さいしきもっかん)

トルキ山古墓出土
10世紀前半
内蒙古文物考古研究所

目玉3

陳国公主 18歳のプリンセスと黄金のマスク

 18歳で亡くなった陳国公主。その顔を模して制作し、埋葬の際につけたもの。このような埋葬用の仮面を用いるのは契丹皇族に特徴的な埋葬習俗であり、宋代の文献記録にも登場する。陳国公主の祖父は契丹第5代皇帝の景宗耶律賢(やりつけん)。その血統にふさわしい上質の仮面である。

金製仮面(きんせいかめん)

ちんこくこうしゅ
陳国公主墓出土
11世紀前半 開泰7年(1018)
内蒙古文物考古研究所

目玉4
鳳凰文冠(ほうおうもんかん)

ちんこくこうしゅ
陳国公主墓出土
11世紀前半 開泰7年(1018)
内蒙古文物考古研究所

 陳国公主が埋葬の際につけていた銀の冠。湧き立つ雲気とともに舞い上がる鳳凰をあらわす。契丹の皇族は生前もこのような形の冠を着用していたが、本品は埋葬用に作られたものと思われる。

目玉5

章聖皇太后 白塔に捧げた祈り

塔身に表された章聖皇太后

塔身に表された章聖皇太后

 契丹の皇帝を祀る慶陵地区へ至る途中に、慶州(けいしゅう)釈迦(しゃか)仏舎利塔(ぶっしゃりとう)(通称:白塔)が建つ。契丹仏教がもっとも興隆をみた11世紀半ば、1049年に建立された。白塔の頂上部からは極彩色の奉納品が数多くみつかり、その中核をなすものがこの銀製鍍金の塔。側面には白塔の発願者である章聖皇太后とおぼしき人物を表す。塔の頂上には一羽の鳳凰。その立ち姿はわが国の宇治平等院の鳳凰にも通じる。

塔頂部の鳳凰





鳳凰舎利塔(ほうおうしゃりとう)

けいしゅうしゃかぶっしゃりとう
慶州釈迦仏舎利塔出土
11世紀前半 重煕18年(1049)
巴林右旗博物館

目玉6
釈迦涅槃像(しゃかねはんぞう)

けいしゅうしゃかぶっしゃりとう
慶州釈迦仏舎利塔出土
11世紀前半 重煕18年(1049)
巴林右旗博物館

 伸ばした体の右側を下に、安らかな表情を浮かべて涅槃(ねはん)に入る釈迦の様子を表した大理石製の像。白塔から発見された3体の涅槃像のうちの一つで、緑と赤による彩色が美しい大型の作品。釈迦が横たわる棺台には獅子が表情豊かに表される。


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