耶律羽之は、契丹の初代皇帝 耶律阿保機と第2代皇帝 耶律徳光のもとで活躍した重臣で、941年に52歳でなくなり、翌年埋葬されました。本展では耶律羽之の墓から出土した金銀器も多く展示していますが、これまで3人のプリンセスの影にかくれ、ご紹介する機会が少なく、寂しい思いをしてきました。そこで、ここでは耶律羽之の墓誌の記載とともに、展示されている耶律羽之墓出土品をいくつかご紹介したいと思います。
※石槐とは、後漢時代の鮮卑の首領 檀石槐のこと。契丹皇族である耶律氏は、自身を鮮卑と同族であると認識していました。
※射とは騎射。御とは乗馬のこと。耶律羽之の、文武両面にわたる多芸ぶりが偲ばれます。耶律羽之墓出土の硯には、実際に使用した痕跡が。この硯でどんな書をしたためたのでしょうか。
※この記事は、926年に、耶律阿保機が渤海国を撃ち、東丹国をおいたことを指します。このとき、耶律羽之は中台右平章事という東丹国での役職を授かり、また東平群開国公に封ぜられました。
※左相は左大相ともいい、左大臣のような役職です。927年、耶律羽之は、東丹王と大内相に次ぐ左相の地位についたのでした。耶律羽之墓出土の銀盤には、裏面に細線で「左相公」と刻まれていました。
近年の研究では、實六宰相とは、耶律阿保機の妹ユルドゥグ(余盧睹姑)公主の夫 蕭室魯のことだといわれています。夫人は、耶律羽之が亡くなったあと、病に伏せて、後を追うようにこの世を去りました。 写真の竹林七賢をあらわした一対の七角杯は、夫婦で使うためのものでしょうか。














